もしも、徳川 綱吉が桃太郎の世界に迷い込んだら
もしも、徳川 綱吉が桃太郎の世界に迷い込んだら 1684年、徳川幕府五代将軍・徳川綱吉は、「生類憐れみの令」を発令した。 その内容は、犬や猫をつながないこと、病気の馬を捨てないことなど多岐に渡り、 蚊を叩いただけで重罪になる者もいたという。…
続きもしも、徳川 綱吉が桃太郎の世界に迷い込んだら 1684年、徳川幕府五代将軍・徳川綱吉は、「生類憐れみの令」を発令した。 その内容は、犬や猫をつながないこと、病気の馬を捨てないことなど多岐に渡り、 蚊を叩いただけで重罪になる者もいたという。…
続き【大阪編】もしも、曽根崎心中に別の物語が融合したら 「この世のなごり 夜もなごり 死にに行く身をたとふれば」 今までは武士の話ばかりであった江戸時代の文学に、 町人の物語を書くという斬新な試みで革命を起こした人形浄瑠璃・「曽根崎心中」。 そ…
続きもしも、桂 小五郎がタイムリーパーだったら ときは幕末。会津藩と薩摩藩により京を追い出された長州藩士たちは、京での復権を狙っていた。 1864年7月8日。真夏の京都、旅宿「池田屋」に京の町に火を放ち倒幕のきっかけをつかもうという過激浪士たち…
続きもしも、長宗我部 元親が二人いたら 四国・土佐に拠点を置く長宗我部氏の嫡男、長宗我部元親は、大人しく色白だったため「姫若子」と呼ばれていた。 しかし22歳で初陣を飾ると、その思わぬ奮闘ぶりから「鬼若子」と呼ばれ畏れられることに。 …この二面…
続き【福岡編】もしも、赤い鳥が小学校を創設したら 明治、大正時代を生きた文豪、詩人たち。 彼らが日本のため、できることは何であったのか。 「赤い鳥」「からたちの花」など、数々の名著を生み出した北原白秋から、当時の日本文学界を見る。
続きもしも、川中島の戦いが〇〇に止められていたら 1561年10月28日午前8時、秋の朝靄が晴れた瞬間、戦国史上きっての大激戦が開始された。 「第4次川中島の戦い」である。 「甲斐の虎」と呼ばれた武田信玄と「越後の龍」と呼ばれた上杉謙信が初めて…
続きもしも、小野 篁が冥界の役人だったら 小野篁は、歌人・官吏として有名である。 が、一説にこんな話が…“小野篁は、冥界におられる閻魔大王の補佐役である”。もし、それが本当だったとしたら…。その冥界に、え!?紫式部が!?なんと、あの人までぇぇぇ…
続きもしも、三方ヶ原の戦いに最強がいたら 1570年、ようやく平穏を得たかに思えた徳川家康だったが、更なる試練が牙を剥く! 甲斐の虎率いる武田軍が遠江へ侵攻を開始したのである。兵力差は一目瞭然。八方塞がりであった。 その時、唯一見出した活路に勝…
続き【埼玉編】正義かの如く 二・二六事件の鎮魂歌 久美と勝人、二人が訪れた恋愛スポットは1936年という激動の時代に翻弄された人間模様の終着駅だった。世のため、国民のために立ち上がった青年将校たちの正義はわずか三日で逆転して反乱と扱われていく。…
続きもしも、徳川 慶喜があの人に取り憑かれていたら 薩長同盟締結、大政奉還、王政復古の大号令、戊辰戦争・・・ 約250年続いた徳川幕府も時代の波にはあらがえず、官軍となった薩長軍によってその幕を下ろされることとなる。そして、その幕引き役となった…
続き