もしも、西南戦争が起きなかったら
もしも、西南戦争が起きなかったら 明治維新後、異国に負けない強い国づくりのために富国強兵政策に舵を切った新政府軍。しかし、それは一筋縄ではいかなかった・・・大久保利通の盟友であった西郷隆盛は、朝鮮への使節派遣に対する意見の食い違いから下野し…
続きもしも、七難八苦を望んだ山中 鹿介が不死身になったら
もしも、七難八苦を望んだ山中 鹿介が不死身になったら 滅びた主家、尼子家の再興という悲願を叶えるため、月に「七難八苦」を望んだとされる戦国武将、山中鹿介。このストイックな精神と非業の最期を遂げるまで貫き通した尼子家への一途な忠義心から今でも…
続き【北海道編】もしも、最後の将軍が幕末の箱舘にタイムスリップしたら
【北海道編】もしも、最後の将軍が幕末の箱舘にタイムスリップしたら 1576年、室町幕府第15代将軍足利義昭は、織田信長によって京を追われた。 足利義昭は世の大名たちに信長追討を命じる書状を送り、信長は羽柴秀吉に足利義昭との“会談”を命じた。…
続き【山梨編】もしも、「三国同盟」の締結に武田家の親子対決がかかわっていたら
【山梨編】もしも、「三国同盟」の締結に武田家の親子対決がかかわっていたら ときは戦国時代、武田信虎は自身を甲斐より追放した息子、武田晴信と和解を果たしたも のの、いまだその身は娘婿である駿河国今川家の元にあった。 そこに娘である恵奈とその夫…
続きもしも、菅原 道真が左遷されなかったら
もしも、菅原 道真が左遷されなかったら 幼い頃から「神童」とたたえられ、優れた政治改革にその能力を発揮した菅原道真。しかし、道真の栄達に嫉妬した藤原時平の讒言によって、彼は九州大宰府の地に左遷され、無念のうち亡くなってしまう。道真の死後、京…
続きもしも、承久の乱で幕府が負けていたら
もしも、承久の乱で幕府が負けていたら 1221年、日本史上初めて朝廷と幕府が武力衝突した事件が起きた。承久の乱である。はじめは「朝敵」となった鎌倉幕府方が不利と思われたが、「尼将軍」北条政子の演説により御家人の心は奮起し、結果、幕府軍の圧勝…
続き【愛知編】もしも、山内 一豊夫妻の夫婦仲が悪かったら
【愛知編】もしも、山内 一豊夫妻の夫婦仲が悪かったら 戦国時代「内助の功」の代名詞ともなっている山内一豊の妻、千代。彼女は貧しい下級武士であった夫をその機略をもってよく支え、ついには土佐24万石の国主の地位にまで押し上げる。もしも、戦国一…
続きもしも、関ケ原の戦いで西軍が勝っていたら
もしも、関ケ原の戦いで西軍が勝っていたら 1598年、ときの天下人豊臣秀吉が亡くなった。その直後から、秀吉亡き後の天下を狙う徳川家康と豊臣家を守りたい石田三成との対立が激しくなり、ついに両者は1600年、美濃国(現在の岐阜県)関ヶ原において…
続きもしも、平安時代にSNSがあったら
もしも、平安時代にSNSがあったら 平安時代、それは日本史上初めて女流作家が活躍した時代であった。ここに今、亡き夫が火葬された悲しみと生前、浮気性だった夫への憎しみを一編の恋愛長編物語にまとめ上げた一人の女流作家がいる。「源氏物語」の作者、…
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