もしも、生麦事件で薩摩藩が謝罪していたら

もしも、生麦事件で薩摩藩が謝罪していたら

もしも、生麦事件で薩摩藩が謝罪していたら

1862年、薩摩藩最高指導者の島津久光は、幕府に幕政改革を促すため、約700人の軍勢を率いて江戸へ向かった。その帰路のこと、現在の横浜市鶴見区生麦付近で大事件が起こった。薩摩藩士が行列を遮ったイギリス人商人リチャードソン一行に斬りかかったのである。リチャードソンは即死、その他2名は重軽傷を負った。この外国人殺傷事件に怒ったイギリスは江戸幕府と薩摩藩に対し、犯人の処刑と賠償金の支払いを命じたが、当事者である薩摩藩はこれを拒否。薩摩とイギリスとの間で薩英戦争が勃発する。結果、薩摩藩は惨敗を喫したが、この事件を契機に薩摩藩とイギリスは互いの関係を深めていく・・・もしも、このとき薩摩藩がおとなしくイギリスに謝罪していたら、日本の歴史はどう変わっていただろうか?

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