もしも、大化の改新が失敗していたら

もしも、大化の改新が失敗していたら

もしも、大化の改新が失敗していたら

時は7世紀中頃。聖徳太子の死後、有力豪族蘇我氏がわがもの顔で政治を独占していた。そして643年、蘇我氏にとって邪魔者であった聖徳太子の息子、山背大兄皇子(やましろのおおえのおうじ)が蘇我入鹿(そがのいるか)によって攻め滅ぼされる。聖徳太子が夢見た天皇中心の政治は、風前の灯火となっていた・・・このとき聖徳太子の志を引き継いだ二人の若者がいた。中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)である。二人は密議を交わし、ついに645年6月14日、大極殿内にて蘇我入鹿を暗殺する。父親の蘇我蝦夷(そがのえみし)も屋敷に火を放ち自害し、ここに天皇中心の政治改革が実現した。もしも、この「大化の改新」が失敗していたら、現代の日本はどのように変わっていただろうか?

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