もしも、承久の乱で幕府が負けていたら
もしも、承久の乱で幕府が負けていたら 1221年、日本史上初めて朝廷と幕府が武力衝突した事件が起きた。承久の乱である。はじめは「朝敵」となった鎌倉幕府方が不利と思われたが、「尼将軍」北条政子の演説により御家人の心は奮起し、結果、幕府軍の圧勝…
続きもしも、承久の乱で幕府が負けていたら 1221年、日本史上初めて朝廷と幕府が武力衝突した事件が起きた。承久の乱である。はじめは「朝敵」となった鎌倉幕府方が不利と思われたが、「尼将軍」北条政子の演説により御家人の心は奮起し、結果、幕府軍の圧勝…
続き【愛知編】もしも、山内 一豊夫妻の夫婦仲が悪かったら 戦国時代「内助の功」の代名詞ともなっている山内一豊の妻、千代。彼女は貧しい下級武士であった夫をその機略をもってよく支え、ついには土佐24万石の国主の地位にまで押し上げる。もしも、戦国一…
続きもしも、関ケ原の戦いで西軍が勝っていたら 1598年、ときの天下人豊臣秀吉が亡くなった。その直後から、秀吉亡き後の天下を狙う徳川家康と豊臣家を守りたい石田三成との対立が激しくなり、ついに両者は1600年、美濃国(現在の岐阜県)関ヶ原において…
続きもしも、平安時代にSNSがあったら 平安時代、それは日本史上初めて女流作家が活躍した時代であった。ここに今、亡き夫が火葬された悲しみと生前、浮気性だった夫への憎しみを一編の恋愛長編物語にまとめ上げた一人の女流作家がいる。「源氏物語」の作者、…
続きもしも、義和団に日本が影響されていたら 20世紀初頭、当時の中国、清国内では「義和団(ぎわだん)」と呼ばれる宗教的秘密結社が勢力を強め、外国人を襲撃する事件が起きていた。世に言う「義和団事件」である。清の最高権力者であった西太后(せいたいご…
続きもしも、卑弥呼がカリスマ毒舌占い師だったら 時は弥生時代後期の3世紀中頃。当時の日本は小さなクニ同士が争いを繰り広げていた。その中で、邪馬台国と呼ばれるクニが周囲の国々をまとめて、その勢力を拡大していた。その邪馬台国のトップに君臨していたの…
続きもしも、「ニューカトリック」が日本に広まっていたら 時は16世紀中頃。カトリックの一派であるイエズス会から派遣れたスペイン人宣教師フランシスコ・ザビエルは、数名の宣教師と彼から洗礼を受けた「やじろう」という日本人通訳を連れて日本に上陸。我が…
続きもしも、生麦事件で薩摩藩が謝罪していたら 1862年、薩摩藩最高指導者の島津久光は、幕府に幕政改革を促すため、約700人の軍勢を率いて江戸へ向かった。その帰路のこと、現在の横浜市鶴見区生麦付近で大事件が起こった。薩摩藩士が行列を遮ったイギリ…
続きもしも、大化の改新が失敗していたら 時は7世紀中頃。聖徳太子の死後、有力豪族蘇我氏がわがもの顔で政治を独占していた。そして643年、蘇我氏にとって邪魔者であった聖徳太子の息子、山背大兄皇子(やましろのおおえのおうじ)が蘇我入鹿(そがのいるか…
続きもしも、モンゴル軍が東西から攻められていたら 時は13世紀の初め。強大な力を持っていたモンゴル帝国は、西のマムルーク朝(エジプト)、東の南宋、そして日本へと怒涛の侵攻を見せていた。この時 ―当時鎌倉時代の日本で起きた、モンゴル軍による2度に…
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