【神奈川編】もしも、川崎大師酒合戦にあの偉人たちが参戦したら
1648年8月、現在の神奈川県川崎大師付近で日本史上最大規模の酒合戦(酒量の飲み比べ)が行われた。 東軍総大将は江戸幕府重鎮、酒井雅楽頭忠清(さかいうたのかみただきよ)の殿医であった茨木春朔(いばらきしゅんさく)こと地黄坊樽次(じおうぼうたるつぐ)。 対する西軍総大将は川崎大師河原村名主であった池上太郎衛門(いえがみたろうえもん)こと大蛇丸底深(だいじゃまるそこふか)。 総勢約30名が入り乱れてのこの大合戦は、激闘の末、東軍の地黄坊樽次が西軍の大蛇丸底深を見事打ち倒し、東軍の大勝利に終わったことが樽次自身が記した「水鳥記(すいちょうき)」という仮名草子によって伝えられているが、実のところ勝負の真相は定かではない。 もしも、この慶安大師河原酒合戦にあの歴史上の偉人たちが飛び入り参戦していたとしたら、どのような展開が繰り広げられただろうか・・・