もしも、渋沢 栄一が「海上幕府」成立に関わっていたら
令和6年7月から新一万円札の顔となった渋沢栄一。
「近代日本経済の父」と讃えられる実業家である。 彼は元は現在の埼玉県深谷市のとある農家に生まれた百姓であった。
そんな彼がひょんなことから徳川御三卿の一つであった一橋慶喜、後の徳川慶喜に仕えることになり、やがて幕臣として西洋各国を視察することになる。
しかし、そのヨーロッパ旅行中、主家の徳川家は「鳥羽・伏見の戦い」で新政府軍に敗れ、徳川幕府は終焉を迎えてしまう。
もしも、彼がヨーロッパに行くことなく、坂本龍馬や勝海舟たちとタッグを組み、江戸湾沖に「海上幕府」を打ち立てていたとしたら、歴史はこんな風に変わっていたかもしれない・・・